シリアとムスリムの世界


<シリア:アレッポの空爆から見えて来る事>

<シリア:アレッポの空爆から見えて来るもの>
アレッポへの空爆はロシアによるものであることは確かなことであり、言い逃れの出来ない事実ですが、ロシア防衛省は公然とこれを否定し、「アメリカの空爆によるものである」と公言しています。
*USA:REUTERS記事:http://goo.gl/wLIyyD
MOSCOW Russia's Defence Ministry said on Thursday that two U.S. aircraft had bombed the Syrian city of Aleppo on Feb. 10, and that Russian planes had not been operating in the area.
2機のアメリカ空軍機がアレッポを2月10日に攻撃した。ロシアの航空機はこの空域には一切入っていないとロシアは言っています。
一方アメリカ:ペンタゴンはー
A Pentagon spokesman had accused Russian and Syria government forces on Wednesday of destroying Aleppo's two main hospitals with air strikes.
ロシアとシリア政府軍が水曜日にアッレポにある2つの主要な病院を破壊した」 と述べています。
ーこれに対しロシア側はー
But Defence Ministry spokesman Igor Konashenkov said in a statement that "only aviation of the anti-ISIS coalition flew over the city yesterday", referring to the U.S.-led alliance of countries fighting the Islamic State militant group.
・ロシア防衛省のスポークスマン=イゴール・コナシェンコフはアイシス(ISIS)との戦いにおける米国主導の同盟に言及し「抗ISIS連合の唯一の航空オペレーションの為に昨日アレッポ上空を飛行しただけだ」と声明。
この声明は今日(2月11日)ロシア:ラブロフ外相も、ドイツ:ミュンヘンでのシリア関係国会議(2月11日より開始された)でも同じことを述べています。
しかしどの様に検証しても、ロシアの空爆によることは明らかです。
*アルジャジーラの報告 http://goo.gl/yGL9oB
Over the past two weeks, Syrian government and Russian military forces have carried out daily air strikes using internationally banned cluster bombs in opposition-held areas across Syria, killing dozens of civilians, according to Human Rights Watch.
この2週間で、シリア政府とロシア軍は、ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、民間人の数10人を殺し、シリア全域でも国際的に禁止されているクラスター爆弾を使用し、毎日空爆を行いました。
とレポートしています。
 
⊡馬鹿げた話ですが、国際社会とはこの様な愚かな偽善性をも真面目に受け止めて合意を形成していかなければならないのが現実です。
ミュンヘンで関係国会議が開かれましたが、ジュネーブでのカンファレンスでも全く前進できなかった会合の再開は再び困難なことになろうとしています。
会議の前提としてロシア側は「停戦合意の目標期限を3月1日とすることで会議を進める」という条件を提案、これに対してアメリカ側は「ロシアは2月中(残された3週間以内)にシリア反体制派をアレッポ周辺から完全撤退させるつもりであり、とても納得出来る提案ではない」とコメントしています。
 
⊡国連の警告:2月9日ーロイター記事:  http://jp.reuters.com/article/mideast-crisis-syria-idJPKCN0VJ0DR
{アレッポ包囲続けば数十万人に人道危機、国連が警告」
[ジュネーブ/ダマスカス/ONCUPINAR(トルコ) 9日 ロイター] - 国連は、シリアのアサド政権がアレッポを包囲した場合、数十万人が食料調達不能の状態に陥る可能性があると警告した。
アレッポは、シリア政府と反政府勢力の間で何年も争奪戦が続いているが、現在はロシアによる空爆やイラン・レバノンに展開する武装組織ヒズボラの支援を受けた政府軍がアレッポ近郊に大規模攻勢を仕掛けている。
国連は、アレッポで反政府勢力が展開する地域とトルコとの国境が政府の包囲で断ち切られ、最後の食糧補給路が断たれる恐れがあると懸念している。
国連人道問題調整室(OCHA)は「越境の方法が検討されないかぎり、まだ市内に住んでいる最大30万人の住民の人道支援が断たれることになる」と述べた。
さらに、今後も近郊で政府の前進が続けば「市当局は、10万─15万人の避難民が発生する可能性があるとみている」と述べた。=以上ロイター日本版記事
 
   
      <シリア:アレッポ空爆から見えてくるもの>
ロシア=プーチンの絶対的価値観は、自国の利益が最優先であり、シリア;アサド大統領を後押しし、中東と地中海域でのロシアの権益を守ることが最重要課題です。
自国の利益やプーチン自身の存在感を世界に知らしめる為には、何十万人のシリア市民が死のうと全く意に介さないのがプーチンの本性です。400万人を超えるシリア難民が、何処で死のうと、何処で困窮しようと、それはプーチンにとってはどうでもいいことです。
シリア市民への無差別攻撃によってシリア市民の多くがヨーロッパへ逃れれば、それだけEU諸国も困ることは明らかであり、現在EU内各国でペギーダ(pegida=西洋のイスラム化に反対する欧州愛国主義者)が抬頭して市民同士がいがみ合っている現状は彼には理想的な状況です。おそらくプーチンは現状のヨーロッパ各地での混乱をほくそ笑んで見つめていることでしょう。

 

 これはクリミアからウクライナ東部で端を発したロシア制裁に対する報復でもある、とEU諸国は一刻も早く気付かなければなりません。ロシア:プーチンとシリア:アサドとの関係はすでに数十年にわたって築かれて来た親交関係にあることは、EU諸国の指導者達も判っている筈です。今こそ毅然とロシアのシリア介入を拒否し、シリアからの撤退をロシアに強制すると共に、当初の連合国合意通りアサドの更迭を強引に推し進める以外に、国際社会の選択肢はないと気付くべきでしょう。中東のみならず、EUとアメリカを含めた国際的安定を実現することは、急激に冷え込んで来た世界の経済的リセッションをも改善する最良の戦略であることは明らかです。  
 政権最後の年になるオバマ大統領も、今やEU諸国の牽引役を担ったメルケル首相も、今度ばかりは「ロシア:プーチンとの戦線を開くことも辞さない」という覚悟を腹の中に収めて立ち向かって行くべき時にきている筈です。シリア市民2000万人を救うべき正義が、今こそ果たされるべき時に至っていると言えます。メドベージェフ首相はプーチン大統領の意を含んで、今日(2016年2月11日)「シリア・アサド政権を攻撃することは、第三次世界大戦に繋がる」とAFPのインタビューに答えています。今やロシア政権に弄ばれている国際社会。国際連携と強力な連帯が今まさに必要とされています。     2016年2月11日   曽根悟朗 

【緊急報告】2015年10月31日版

 

 狭い地球上に住む我々人類は、今日に至るまで様々な難問に遭遇し、民族、宗教、覇権、経済

、政治、など様々な軋轢の中で、解決されえない問題を抱えながら曲りなりにも生存してきまし

た。しかし先進国と後進国の生活格差は依然解消されず、文明のフロントラインでは常に衝突が

起こり、第二次大戦後も数々の紛争によって、貴重な命が虫けらの如く殺され続けてきました。

 

  

 

◆シリア情勢が新たな局面を迎えようとしています。

 

 

 上記写真はニューヨークタイムズ特集記事からのものです。

Syria After Four Years of Mayhem

                http://goo.gl/gVCtRK

 

(Ⅰ)今日の我々日本人にとっても、現在最も心痛める出来事はヨーロッパへと流れ込んでいる難民の方々の姿だと思います。

  クルド人 

 裸足にスリッパを履いただけの彼女は、シリアとトルコの国境近くの町、アイン・アル・アラブに住んでいましたが、トルコ国境を漸く越えることが出来、難民施設に行くためにバスを待っているところです。

 この写真を撮った友人からの話では、ご主人はISISに連れて行かれ処刑されたということです。彼女はシリア系クルド人だということですが、よく彼女が殺害されなかったものだと思います。何故ならISISの連中がもっとも嫌がっているのがクルド人女性だからです。

 

 後ろを向いている女の子の表情は判りませんが、彼女も裸足で(移動中は母親に抱かれていた

のでしょうが)泣きべそをかいている兄よりは毅然とした姿に見えるのは私だけでしょうか。

 

 イスラームの男性は、女性に殺害された場合は死後も地獄に落とされるとされています。彼女の夫がクルド人であることを隠していたのだと彼女は言っていたそうです。

 世界に2000万人以上いるクルド人は、イラク北部に多く住んでいますが、トルコから東欧や中央アジアにかけて も多く分布しています。単一民族として国家を持たない最大の民族とも言われています。

 

 イラクがサダム・フセインに支配されていた頃は一方的な迫害を受け、劣化ウラン弾による攻撃を受け、多くの奇形を持った子ども達が生まれました。又、サリンガスをもフセインはクルドの人々相手に散布したという事実も残っています。

 

 現在はイラク北部アルビルに中心都市を得て街を整備し、イラク議会へも議員を送り込んで新たな再生への道を築き始めたところでした。ISISが抬頭して来なければクルド人の拠点都市として落ち着きを取り戻していた筈です。トルコ国内にもクルド人は多く、トルコ議会へも数十人を送り込んでいますが、トルコ政府は未だクルドPKKに対する敵対意識を持ち、明らさまにクルドを空爆することもあります。その根底にはオスマントルコ時代に遡る敵対意識が強く根ずいているようです。

 

 危機を至るところで経験してきたクルドの人々は、常に民兵の教育を行い、特に女性だけの部隊は男性軍よりも強力だと思われているようです。

 

 ー詳細は下記PDF(10ページ)をダウンロードしてご覧下さいー

 

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市民機構レポート:2015年10月31日版
シリア問題全体に新たな展開の兆しが漸く芽生えようとしています。
市民機構レポート20151031.pdf
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≪イスラーム圏と世界≫

          ー序ー

 今、世界中でムスリム世界(イスラーム教を信仰する人々)とのパワーバランスが崩れ、様々な軋轢が生じています。日本でもアルジェリアで、そしてシリアで、大きな問題が発生し、否応なくこの問題に直面しています。これらの諸問題を日常的な意識をもって理解し、正しい議論をしなければなりません。

  本稿は、前半はイスラーム教に於ける一つの枝葉「過激派テロリズム」を育てる宗教的イデオロギー

の流れを形成してきた代表的な人物とイデオロギーの流れを紹介しています。 

 開祖、神の使徒(ナスール)とされるムハンマド(570年~632年)がメッカ(文中はマッカ:サウジアラビア)でその布教活動を始めた時は、身内を含めた50人足らずの人々によってでした。そのイスラーム教の信者は今日15億人を超える信者を抱え、なおその信者の数は増加しています。これは何故でしょうか。

 

 アメリカを中心とする西欧国家や日本などは、中東に産出する石油資源を求め、ムスリム圏に土足で踏込み、それらの利権を買いあさりました。土足でかの地を踏み荒らすだけではなく、ムスリムの人々から見れば堕落と表現されている様々な文化や生活態度を持ち込みました。このころの日本人を評して「エコノミック・アニマル」と言われていました。「経済利益だけを追求する野獣」「お金、女性、ギャンブル等欲望だけをむき出しにした野獣」という意味でした。ムスリム国家ではお酒や売春をすることはご法度でした。ゴルフやマージャンに日中から夢中になるのは、程度の低い人間であり、遊ぶということは子どもだけに許される行為だという観念が根強く残っていたのがムスリム社会でした。

  

 石油利権の為に支配層の王族達をとりこみ、多額の利益を彼らにもたらし、国家支配体制を確立させたのも、西欧の先進国でした。そして今日なおその影響下にあるムスリム国家は少なくありません。支配層は王侯貴族の暮らしを保証され、99%の人々は日常の暮らしに追われて生活しなければなりません。支配形態に民主化が行われている国はごくわずかで、未だ女性の参政権が認められていない国も少なくありません。

 

 2010年・チュニジアから始まった「アラブの春」は、これまでの旧支配体制に対する市民の民主化を求める

熱い思いが結集され、市民運動が中東全体に広がって行ったのです。チュニジア、エジプト、レバノン、イエメン、オマーン、そしてシリアと飛び火していきました。しかしシリアではアサド大統領の強権力による軍事弾圧が徹底を極め、民主化を求めた自由シリア軍(FSA)は手持ちの銃器で市街でのゲリラ戦を中心としてアサドに抵抗しました。即座にアサドは市民を含む無差別爆撃を開始し、今では30万人以上のシリア市民がアサドの手によって殺害されました。本文中でも紹介していますが、アサドは化学兵器を一般市民に対して使用したのです。

 

 後半部分では、今後のムスリム国家と世界を含めた世界平和を如何に実現して行くかについて書いています。人類の位置する現在の姿を中心に、過去と未来を繋ぎ、如何に世界全体が平和になることが出来るかという課題に言及しております。そして宗教と民族、国の存在意義を包括的に解決するためには、決して避けて通れない大きな「パンドラの箱」をも開けなければなりません。                   2015年3月13日

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イスラーム圏と世界;イスラーム圏における過激思想の由来と未来の世界
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      ー Turkish is under below -

 

     ー武力闘争放棄へ―

   歴史的なオジャランからのメッセージ

 

    アブドゥッラー・オジャラン

       Abdullah Öcalan

 

          1948年4月4日生まれ

  トルコ:シャンウルファ県ハルフェティ郡オメルリ出身

    アンカラ大学・クルディスタン労働者党元党首

      妻:ケスィレ・オジャラン

 

ーアブドゥッラー・オジャランの歴史的発表ー
 アブドゥッラー・オジャランの歴史的発表が、平和民主党(BDP)所属国会議員ペルヴィン・ブルダン氏によってクルド語で、スッル・スレイヤ・オンデル氏 によってトルコ語で読み上げられた。メッセージが読み上げられる際には、スクリーンにアブドゥッラー・オジャランの映像が映し出された。
 
 
           ⁑アブドゥッラー・オジャランの発表の全文は以下の通り⁑

■虐げられてきた人々の自由なノールーズ(祝祭日・お正月)に祝福あれ

*平安あれ、この覚醒、活性化、復活の日たるノールーズを、広範な参加を得て、一体となって祝う中東と中央アジアの人々よ……。

*平安あれ、新たなる時代の誕生と日の光であるノールーズを、大きな興奮と民主的な寛容さで祝うきょうだいたる人々よ……。
*平安あれ、民主主義的な諸権利、自由と平等とに導かれこの遠大な道を行く人々よ……。
*ザグロス山脈とトロス山脈の麓からユーフラテス川とチグリス川の河床へ、聖なるメソポタミアとアナトリアの大地から農耕・村・都市文明を育んだ最も古い人々のひとつであるクルド人達よ、あなた方へ平安あれ……。

 何千年もの間、偉大な文明を、様々な民族、宗教、宗派の人々とともに、きょうだい・友のように、共に生き共に築いてきたクルド人にとって、チグリスとユーフラテス川、サカリヤとマリツァ(メリチ)川はきょうだいです。アララト山とジュディ山、カチカル山とエルジェス山は友です。ハライとデリロ、ホロンとゼイベキ[といった踊り]は親類なのです。

 この偉大な文明、このきょうだいである諸共同体は、政治的な圧力や外部の干渉、集団的利益によってお互いに対立させられようとしてきました。権利や法、平等、自由を基礎に持たない体制が作られようとしてきました。この200年間の征服戦争、西洋の帝国主義者の干渉、抑圧的・否定的考え方は、アラブ、トルコ、ペルシア、クルド社会を、国民国家に、架空の境界線に、恣意的に作り出された問題に落とし入れようとしていたのです。

 搾取を行う体制、抑圧的・否定的考え方は、もはや古いもののとなりました。中東と中央アジアの人々は、既に目覚めつつあります。自分自身とその本質に回帰しつつあります。互いを挑発し衰えさせる戦争や衝突はやめるよう言っています。

 ノールーズの火によって心に火を灯された、溢れんばかりに各地の広場を埋め尽くす何十万、何百万の人々は、平和を叫び、友愛を望み、解決策を求めています。私たちの心に生じた絶望、無知、隷属に対する私の個人的な抵抗によって始まったこの戦いは、あらゆる主張に対抗する意識、理解、精神を形作ることを目的としていました。

*今日、この叫びはある地点へ辿りついた、と思います。

 我々の戦いは、いずれの民族、宗教、宗派、集団に対するものでもなく、またそのようなことはありえません。我々の戦いは、搾取、無知、不公平、放置に対するものであり、あらゆる圧力と抑圧に対するものでした。

*今日、我々は既に、新しいトルコへ、新しい中東へ、そして新しい未来に向け目覚めつつあります。

 私の呼びかけを真摯に受け止めてくれた若者達、私のメッセージを心に刻んでくれた気高い女性達、私の言葉を進んで受け入れてくれた友人達、私の声に耳を傾けてくれた人々へ。

*今日新たな時代が始まります。武力による抵抗のプロセスから、民主的な政治のプロセスへの扉が開かれます。

 政治的、社会的、経済的な面に重きを置いたプロセスが始まろうとしています。民主的な権利、自由、平等を基礎とする考え方が発達しつつあります。我々は、 何十年もの時間をこの人々のために捧げ、大きな代償を払ってきました。これらの犠牲も、戦いも、何一つとして無駄にはなりませんでした。クルド人は自身の独自性、本来の姿、アイデンティティを再び獲得しました。
「もはや武器は沈黙し、思想と政治が語る」地点を迎えました。黙殺し、否定し、排除してきたモダニストのパラダイムは覆されました。血は、トルコ人を、クルド人を、ラズ人を、チェルケズ人を問わず、人々から、その地の心から流れているのです。
 私は、この呼びかけを聞く何百万人もの前で宣言します。すでに新たな時代が始まっています、武器ではなく、政治が表に出ています。もはや我々の武装部隊は、国境の向こうへ引き揚げる段階に来ました。
私に心を開き、この理想を信じる全ての人が、プロセスの最後まで敏感に注視してくれると信じています。
これは終わりではなく、新たな始まりです。これは戦いを放棄するということではなく、別の戦いを始めるということなのです。

 民族的な、単一民族による地を形成するということは、我々の本来の姿や本質を否定したモダニスト達が作ろうとしていた、人間味のないものを作るということなのです。

 クルディスタンとアナトリアの歴史にふさわしい形で、あらゆる人々と文化が平等、自由かつ民主的な国家を作るために、全員に大きな責任がのしかかっていま す。このノールーズを機に、すべての人びとが、少なくともクルド人同様に、アルメニア人、トルクメン人、アッシリア人、アラブ人、そしてその他の人々の集団のことを、燃える火を源とする自由と平等の光を、自身の真の平等と自由の光として見て生きるよう、提言します。

*親愛なる、価値あるトルコの人々よ。

 今日、古のアナトリアをトルコ(Türkiye)として生きているトルコ人の人々が知らねばならないのは、クルド人との1000年近い、イスラームの旗のもとの共生は、友愛と連帯の法に基づいているということです。
 
 実際、この友愛の法には、征服、否定、拒絶、強制的な同化、消滅などは、あってはならないことです。資本主義的モダニズムによるこの100年の抑圧、殲滅、同化政策―民衆との結びつきのない、一部の支配エリート―は、これまでの歴史や友愛の法を否定する試みを明らかにしています。現在、もはや歴史と友愛の法に反していることが十分に明るみになったこの不正の圧力から共に脱するために、我々全員の、中東の基本的な2つの戦略的な力の持ち主として自己の文化と文明にふさわしい形で、民主的なモダニズムを築くよう提言します。

*時代は、不一致、衝突、互いを嫌悪する時ではなく、連帯し調和し、抱きしめ合い許しあう時です。

 チャナッカレで共に戦死したトルコ人とクルド人は、祖国解放戦争を共に戦い、1920年に共に議会を開いたのです。共通の過去が掲げる真実は、共通の未来を共に築く必要があるということです。トルコ大国民議会の設立の精神は、今日でも新たな時代を照らしています。

 全ての抑圧されてきた人々、階級と文化の代表者達―最も古くから搾取され抑圧されてきた階級である女性達、弾圧されてきた宗派・教団、異なる文化的価値観を持つ人々、労働者階級の代表者達、体制から排除された全ての人―が、新たな出口の選択肢として、民主主義的なモダニズムの制度に居場所を得られるよう、 自身の精神や姿形を獲得できるよう、呼びかけます。

 中東と中央アジア固有の歴史に適した、現代のモダニズムと民主的な制度が模索されています。全ての人が自由に、きょうだいのように共生してゆける新たなモデルを探すことが、パンや水のように実際に必要なものとなりました。このモデルによって、再度アナトリアとメソポタミアの地が、そこにある文化と時を動かし、それを作り上げることは間違いないでしょう。

 我々は、ちょうど近代に国民誓約の枠組みの中でトルコ人とクルド人が先導し実現した祖国解放戦争が、今日的になり、複雑化し、深化したようなものを経験しているのです。

 この90年間、いくつもの失敗、不足、過ちがありましたが、我々はもう一度、不当に扱われ、大きな災禍に見舞われた人々、階級、文化を受け入れるモデルを築こうとしています。これら全ての部分―平等、自由、民主的な表現方法―の構築を実現させましょう。
 国民誓約に反して離散させられ、今日シリアやイラクで、重大な問題を抱え、衝突の中で生活せざるを得なくなっているクルド人、トルクメン人、アッシリア人、アラブ人を集めた「国民の連帯と平和会議」を基に、自分たちの真実を議論し、意識的になり、合意するのです。

この地の歴史に重きを置いた「我々」という概念の広さ、包括性が、わずかな選良主義的支配エリート達によって、「ひとつ」に貶められたのです。「我々」という概念に、古くからの精神と実践性を適用する時です。

 我々を分かち、対立させようとする者達に対し、団結しましょう。分裂を望む者達に対し、1つになりましょう。時の精神を読めないもの達は、歴史のごみ箱へ向かいます。水の流れに逆らい、奈落の底へ引きずりこまれるのです。
この地の人々は、新たな夜明けを目にしています。戦争、衝突、分裂に疲弊した中東の民衆は、今や自身のルーツを通じて再生し、共に立ち上がろうとしています。このノールーズは、全ての人にとって新しい吉報です。

*聖なるモーセ、イエス、ムハンマドの言葉にある真理が、今日新たな吉報とともに息づき、人々は失ったものを取り戻そうとしています。

*我々は、西洋の現代文明の価値を全て拒絶するわけではありません。
 我々は、そこにある啓蒙主義、平等、自由、民主主義的価値を、我々自身の存在の価値や、我々の普遍的な生活形態と合わせ、命を与えようとしているのです。

⁑新たな戦いの基盤となるのは、思想、イデオロギー、民主的な政治です。大きな民主的前進が始まっているのです。

⁑平安あれ、このプロセスへ力を貸してくれた人々、民主的・平和的な解決を支援してくれた人々よ!

⁑平安あれ、人々の友愛、平等、民主的な自由のためのに責任を引き受けた人々よ!

⁑ノールーズ万歳、人々の友愛よ万歳!

イムラル刑務所 2015年3月21日

 

  • ノウルーズの習慣:ゾロアスター教の新年の祝祭に由来すると言われ、古代のサーサーン朝時代に既に大々的に祝われていた。サーサーン朝時代には春分に祝われるノウルーズと秋分に祝われるミフラガーンのそれぞれあったが、ミフラガーンはミフル神を祝う祭日で、新年はこのノウルーズかミフラガーンの日に定められていた。ノウルーズの習慣はアケメネス朝の時代よりもずっと昔から祝われてきたとされている。

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 (翻訳者:粕川葵ー東京外語大学)
 (記事ID:37161)


       -Turkishー

Öcalan'ın tarihi mesajı: Silahı bırakın, sınır dışına çıkın  

Abdullah Öcalan'ın tarihi açıklaması BDP milletvekili Pervin Buldan tarafından Kürtçe, Sırrı Süreyya Önder tarafından Türkçe okundu. Mesaj okunurken ekrandan Abdullah Öcalan'ın görüntüleri de yansıtıldı
Abdullah Öcalan'ın açıklamasının tam metni şöyle: 

MAZLUMLARIN ÖZGÜRLÜK NEWROZU KUTLU OLSUN 

Selam olsun bu uyanış, canlanış ve diriliş günü olan Newrozu en geniş katılım ve ittifakla kutlayan Ortadoğu                ve Orta Asya Halklarına… 
Selam olsun yeni bir dönemin miladı ve gün ışığı olan Newrozu büyük bir coşkuyla ve demokratik bir hoşgörüyle kutlayan kardeş halklara

Selam olsun demokratik hakları özgürlük ve eşitliği rehber edinen bu büyük yolun yolcularına… 

Zağros ve Toros dağ eteklerinden, Fırat ve Dicle nehir vadilerine; kutsal Mezopotamya ve Anadolu topraklarından tarım, köy ve şehir uygarlıklarına ANAlık eden halkların en eskilerinden olan Kürtler sizlere selam olsun... 

Binlerce yıllık bu büyük medeniyeti farklı ırklarla, dinlerle, mezheplerle kardeşçe ve dostça birlikte yaşayan, birlikte inşa eden Kürtler için Dicle ile Fırat, Sakarya ve Meriç’in kardeşidir. Ağrı ve Cudi Dağı, Kaçkar ve Erciyes’in dostudur. Halay ve Delilo, Horon ve Zeybek’le hısım-akrabadır. 

Bu büyük medeniyet bu kardeş topluluklar, siyasi baskılarla harici müdahalelerle grupsal çıkarlarla birbirlerine düşürülmeye çalışılmış hakkı, hukuku, eşitliği ve özgürlüğü esas almayan düzenler inşa edilmeye çalışılmıştır. 
Son iki yüz yıllık fetih savaşları batılı emperyalist müdahaleler baskıcı ve inkarcı anlayışlar, Arabi, Türki, Farisi, Kürdi toplulukları ulus devletçiklere, sanal sınırlara suni problemlere gark etmeye çalışmıştır. 

Sömürü rejimleri, baskıcı ve inkarcı anlayışlar artık miadını doldurmuştur. Ortadoğu ve Orta Asya halkları artık uyanıyor. Kendine ve aslına dönüyor. Birbirlerine karşı kışkırtıcı ve köreltici savaşlara ve çatışmalara dur diyor. 

Newroz ateşiyle yüreği tutuşan, meydanları hınca hınç dolduran yüz binler, milyonlar artık barış diyor, kardeşlik diyor, çözüm istiyor. 
İçinde doğduğumuz çaresizliğe, bilgisizliğe, köleliğe karşı bireysel isyanımla başlayan bu mücadele her türlü dayatmaya karşı bir bilinci, bir anlayışı, bir ruhu oluşturmayı amaçlıyordu. 

Bugün görüyorum ki, bu haykırış bir noktaya ulaşmıştır. 

Bizim kavgamız hiçbir ırka, dine, mezhebe veya gruba karşı olmamıştır, olamaz. Bizim kavgamız ezilmişliğe, bilgisizliğe, haksızlığa, geri bırakılmışlığa her türlü baskı ve ezilmeye karşı olmuştur. 

Bugün artık yeni bir Türkiye ’ye, yeni bir Ortadoğu’ya ve yeni bir geleceğe uyanıyoruz. 

Çağrımı bağrına basan gençler, mesajımı yüreğine katan yüce kadınlar, söylemlerimi baş-göz üstüne diyerek kabul eden dostlar, sesime kulak kesilen insanlar; 

Bugün yeni bir dönem başlıyor. 
Silahlı direniş sürecinden, demokratik siyaset sürecine kapı açılıyor. 

Siyasi, sosyal ve ekonomik yanı ağır basan bir süreç başlıyor; demokratik hakları, özgürlükleri, eşitliği esas alan bir anlayış gelişiyor. 
Biz, onlarca yılımızı bu halk için feda ettik, büyük bedeller ödedik. Bu fedakarlıkların, bu mücadelelerin hiçbiri boşa gitmedi. Kürtler özbenliğini, aslını ve kimliğini yeniden kazandı. 

“Artık silahlar sussun, fikirler ve siyasetler konuşsun” noktasına geldik. Yok sayan, inkar eden, dışlayan modernist paradigma yerle bir oldu. Akan kan Türküne, Kürdüne, Lazına, Çerkezine bakmadan insandan, bu coğrafyanın bağrından akıyor. 
Ben, bu çağrıma kulak veren milyonların şahitliğinde diyorum ki; artık yeni bir dönem başlıyor, silah değil, siyaset öne çıkıyor. Artık silahlı unsurlarımızın sınır ötesine çekilmesi aşamasına gelinmiştir. 

Yüreğini bana açan, bu davaya inanan herkesin sürecin hassasiyetlerini sonuna kadar gözeteceğine inanıyorum. 

Bu bir son değil, yeni bir başlangıçtır. Bu mücadeleyi bırakma değil, daha farklı bir mücadeleyi başlatmadır. 

Etnik ve tek uluslu coğrafyalar oluşturmak, bizim aslımızı ve özümüzü inkar eden modernitenin hedeflediği insanlık dışı bir imalattır. 

Kürdistan ve Anadolu tarihine yaraşır şekilde tüm halkların ve Kültürlerin eşit, özgür ve demokratik ülkesinin oluşması için herkese büyük sorumluluk düşüyor. Bu Newroz münasebetiyle en az Kürtler kadar Ermenileri, Türkmenleri, Asurları, Arapları ve diğer halk topluluklarını da yakılan ateşten kaynaklı özgürlük ve eşitlik ışıklarını, kendi öz eşitlik ve özgürlük ışıkları olarak görmeye ve yaşamaya çağırıyorum. 
Saygı değer Türkiye halkı; 

Bugün kadim Anadolu’yu Türkiye olarak yaşayan Türk halkı bilmeli ki Kürtlerle bin yıla yakın İslam bayrağı altındaki ortak yaşamları kardeşlik ve dayanışma hukukuna dayanmaktadır. 

Gerçek anlamında, bu kardeşlik hukukunda fetih, inkar, red, zorla asimilasyon ve imha yoktur, olmamalıdır. 
Kapitalist Moderniteye dayalı son yüzyılın baskı, imha ve asimilasyon politikaları; halkı bağlamayan dar bir seçkinci iktidar elitinin, tüm tarihi ve de kardeşlik hukukunu inkar eden çabalarını ifade etmektedir. Günümüzde artık tarihe ve kardeşlik hukukuna ters düştüğü iyice açığa çıkan bu zulüm cenderesinden ortaklaşa çıkış yapmak için hepimizin Ortadoğu’nun temel iki stratejik gücü olarak kendi öz kültür ve uygarlıklarına uygun şekilde demokratik modernitemizi inşa etmeye çağırıyorum. 

Zaman ihtilafın, çatışmanın, birbirlerini horlamanın değil, ittifakın, birlikteliğin, kucaklaşma ve helalleşmenin zamanıdır. 
Çanakkale’de omuz omuza şehit düşen Türkler ve Kürtler; Kurtuluş Savaşı’nı birlikte yapmışlar, 1920 meclisini birlikte açmışlardır. 
Ortak geçmişimizin önümüze koyduğu gerçek; ortak geleceğimizi de birlikte kurmamız gerektiğidir. TBMM’nin kuruluşundaki ruh, bugün de yeni dönemi aydınlatmaktadır. 

Tüm ezilen halkları, sınıf ve kültür temsilcilerini; en eski sömürge ve ezilen sınıf olan kadınları, ezilen mezhepleri, tarikatları ve diğer kültürel varlık sahiplerini, işçi sınıfının temsilcilerini ve sistemden dıştalanan herkesi çıkışın yeni seçeneği olan Demokratik Modernite Sistemi’nde yer tutmaya, zihniyet ve formunu kazanmaya çağırıyorum. 
Ortadoğu ve Orta Asya kendi öz tarihine uygun, bir çağdaş modernite ve demokratik düzen aramaktadır. Herkesin özgürce ve kardeşçe bir arada yaşayacağı yeni bir model arayışı, ekmek ve su kadar nesnel bir ihtiyaç haline gelmiştir. Bu modele yine Anadolu ve Mezopotamya coğrafyasının, ondaki kültür ve zamanın öncülük etmesi, onu inşa etmesi kaçınılmazdır. 
Tıpkı yakın tarihte Misak-i Milli çerçevesinde Türklerin ve Kürtlerin öncülüğünde gerçekleşen Milli Kurtuluş Savaşı’nın daha güncel, karmaşık ve derinleşmiş bir türevini yaşıyoruz. 

Son doksan yılın tüm hata, eksiklik ve yanlışlıklarına rağmen bir kez daha yanımıza, mağdur edilmiş, büyük felaketlere uğramış halkları, sınıfları ve kültürleri de alarak bir model inşa etmeye çalışıyoruz. Tüm bu kesimleri; eşitlikçi, özgür ve demokratik ifade tarzının örgütlenmesini gerçekleştirmeye çağırıyorum. 

Misak-i Milli’ye aykırı olarak parçalanmış ve bugün Suriye ve Irak Arap Cumhuriyeti’nde ağır sorunlar ve çatışmalar içinde yaşamaya mahkum edilen Kürtleri, Türkmenleri, Asurileri ve Arapları birleşik bir “Milli Dayanışma ve Barış Konferansı” temelinde kendi gerçeklerini tartışmaya, bilinçlenmeye ve kararlaşmaya çağırıyorum. 

Bu toprakların tarihselliğinde önemli bir yer tutan “BİZ” kavramının genişliği ve kapsayıcılığı dar, seçkinci iktidar elitleri eliyle “TEK”e indirgenmiştir. “BİZ” kavramına eski ruhunu ve pratiğini vermenin zamanıdır. 
Bizi bölmek ve çatıştırmak isteyenlere karşı bütünleşeceğiz. Ayrıştırmak isteyenlere karşı birleşeceğiz. 
Zamanın ruhunu okuyamayanlar, tarihin çöp sepetine giderler. Suyun akışına direnenler, uçuruma sürüklenirler. 
Bölge halkları yeni şafakların doğuşuna şahitlik etmektedir. Savaşlardan, çatışmalardan, bölünmelerden yorgun düşen Ortadoğu halkları artık kökleri üzerinden yeniden doğmak, omuz omuza ağaya kalkmak istiyor. 
Bu Newroz hepimize yeni bir müjdedir. 

Hz. Musa, Hz. İsa ve Hz. Muhammed’in mesajlarındaki hakikatler, bugün yeni müjdelerle hayata geçiyor, insanoğlu kaybettiklerini geri kazanmaya çalışıyor. 

Batının çağdaş uygarlık değerlerini toptan inkar etmiyoruz. 

Ondaki aydınlanmacı, eşit, özgür ve demokratik değerleri alıyor kendi varlık değerlerimizle, evrensel yaşam forumlarımızla sentezleyerek yaşamlaştırıyoruz. 

Yeni mücadelenin zemini fikir, ideoloji ve demokratik siyasettir, büyük bir demokratik hamle başlatmaktır. 

Selam olsun bu sürece güç verenlere, demokratik-barış çözümünü destekleyenlere! 

Selam olsun halkların kardeşliği, eşitliği ve demokratik özgürlüğü için sorumluluk üstlenenlere! 

Yaşasın Newroz, yaşasın halkların kardeşliği! 

İmralı Cezaevi 21 Mart 2013 

Abdullah ÖCALAN