【吉本隆明の講演音声183回分が無料公開、1960年代以降の講演をデジタルアーカイブ】

2015/01/09 21:02 

ーデジタルアーカイブ『吉本隆明の183講演』が、本日1月9日からウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』で公開された。ー

 『吉本隆明の183講演』は、1960年代から2008年までに行われた吉本隆明の講演183回分をデジタルアーカイブ化するもの。著作権継承者である長女・ハルノ宵子の要望により、各講演の音声と文字起こしされたテキストが無料で公開され、音声の転用、テキストの転載、引用も利用者が自由に行うことができる。講演の音声およびテキストは、テーマを設けて1週間ごとに順次公開。本日から「子どもの心」というテーマのもと、子どもや教育に関する6講演が公開されている。なお、同アーカイブは2008年に刊行された『吉本隆明 五十度の講演』『吉本隆明の声と言葉』の収益をもとに制作。『吉本隆明 五十度の講演』に収められている講演も『吉本隆明の183講演』で公開される。また、同アーカイブでは投げ銭制でページ維持費への支援を募集中。支援者は、ニックネームがサイト内の「協力した人」欄にクレジットされる。       (画像:『吉本隆明の183講演』より)


吉本 隆明(よしもと たかあき):1924年大正13年)~ 2012年平成24年)。日本思想家詩人評論家東京工業大学世界文明センター特任教授。女:ハルノ宵子、次女:よしもとばなな。
 アカデミックな経歴を持たない吉本は、自身の著述活動・知的探求を独学で身に付けた知識で支えた。自らを市井の人と位置付け、組織に属さず、「大衆の原像」にこだわると同時にそれを阻害するあらゆる権威を批判した「気風(きっぷ)の良さ」が、吉本が広範に支持を受けた大きな要因と考えられる。
 吉本は、「親鸞が還相ということでいっているのは、物事を現実の側、現在の側から見る視線に加えて、反対の方向からー未来の側からといいましょう、向こうのほうから、こちらを見る視線を併せ持つってことだというふうに僕は考えています。こちらからのと、向うからの視線、その両方の視線を行使して初めて、物事が全面的に見えてくるというわけです。」と述べている。
ー以上はWikipediaー
 知の巨人と評されているが、現在ではその座を立花隆氏に譲っているかも知れない。反原発や脱原発には異を唱えているが、それは科学者としての感性かも知れない。(曽根悟朗)

  【糸井重里氏のページ】より

『吉本隆明の183講演 フリーアーカイブ計画』が、ただの口約束じゃなくて、とうとう実現しました。

 あんまりたくさんあるので、少しずつ出していきますが、すでにもう、たくさんの人が無料で聴いてくれています。

 このプランを、生前の吉本さんに提案してみたとき、「お好きなようにやってみてください」と、あっけらかんと、まさに快諾された日のことを思います。

 いつかはできるような気がするけれど、こういうホラ話は、実現しないとおもしろくないよなぁ、 ちょっとぴりっとした気持ちになったっけなぁ。 著作権を引き継いだハルノ宵子さんの意志も、 吉本おとうさんと、まったくそっくりでした。

 「そろそろ、いいんじゃない」の合図は、 もう、とっくに出ていたんですよね。 183回も、苦手だった人前に出て語ったことばが、公園の水飲み場の水のように、飲み放題になります。 

 どちらを向いていいのかわかりませんけれど、吉本さんに報告したいような気もします、が、 報告してもしなくても、草葉の陰のご本人は 「あ、そうですか」とあっけらかんと言うだけでしょう。 

 フリー(無料)を掲げていますので、むろん無料です。 「投げ銭システム」を気にしなくてもいいです。気になったら、ご寄付をくださってもありがたいです。きっと励みになりますし、この先のさまざまなメンテナンスについても、継続しやすくなります。


 今夜ETVで午後11時からの、『日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち第5回』 という番組で、吉本隆明さんが特集されています。番組内容について、ぼくは知りませんが、「吉本隆明の183講演 フリーアーカイブ」の公開が、この番組のオンエアに間に合ってよかったです。

 やがて、順に全講演が聴けるようになりますが、 決して「能弁」とは言えない吉本さんの語りは、そこにいる人にしっかり聴いてもらえるように、とても親切な、わかりやすい語り口です。さっそく、今日、聴きはじめてはいかがでしょうか。

 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。生まれて死ぬまでの間って、長いようで短いものだよなぁ。土曜日、日曜日と祝日の「ほぼ日」は9時に更新しています。


 

全コンテンツ:183講演



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           《2015年10月現在すべての講演が公開されております》

2015年1月:

第一回(【A114】子どもの哲学) (【A115】異常の分散ー母の物語) (【A124】言葉以前のことー内的コミュニケーションをめぐって

            (【A133】家族の問題とはどういうことか) (【A137】現代社会と青年) (【A139】言葉以前の心について

第二回(【A020】宗教と自立) (【A041】喩としての聖書ーマルコ伝) (【A050】シモーヌ・ヴェイユの意味) (【A148】蘇るヴェイユ

            (【A149】シモーヌ・ヴェイユの神) (【A176】苦難を超えるー「ヨブ記」をめぐって

第三回(【A072】親鸞の転換) (【A078】親鸞の声について) (【A112】親鸞から見た未来) (【A118】未来に生きる親鸞)

            (【A153】現代に生きる親鸞) 

2015年2月:

第四回(【A080】経済の記述と立場ースミス・リカード・マルクス) (【A086】資本主義はどこまでいったかー経済現象からみた現在

        (【A108】日本経済を考える) (【A120】高次産業社会の構図) (【A160】現代を読む PART2

第五回(【A100】わが歴史論ー柳田国男と日本人をめぐって)(【A104】都市論Ⅱ-日本人はどこから来たか

            (【A127】渦巻ける漱石ー「吾輩は猫である」「夢十夜」「それから」)(【060】<アジア的>ということーそして日本

2015年3月:

第六回(【134】資質をめぐる漱石ー『こころ』『道草』『明暗』)(【143】青春としての漱石ー『坊っちゃん』『虞美人草』『三四郎』

            (【A150】不安な漱石ー『門』『彼岸過迄』『行人』

第七回(【141】宮沢賢治) (【157】太宰治)  (【A170】ヘーゲルについて) (【A183】芸術言語論ー沈黙から芸術まで

            【016】宗教としての天皇制)  (【A060】<アジア的>ということーそして日本             

     



【A114】子どもの哲学

子どもというのは、単独ではまったく意味がなく、
定義することのできない存在です。
少なくとも母親、もっといえば父親も交えて、
「親というものと込み」でしか、
定義することができません。
だからいったん児童期、思春期になって、
おかしくなってしまったときには、半分はもう遅いんです。
はじめに決定論的なものが半分あって、

  「まだ半分はさかのぼる余地もあるよ」  ということになると思います。
  子どもというのは、親と2世代の込みで考えると、いろんな問題が自ずから解けていくということがあると思います。
  僕らがこういうことをよくよくわかることができたら、またフランクに話すことができたら、子どもにとっても親にとっても幸いなことだと思います。

  • 講演日時:1988年11月10日
    主催:本郷青色申告会
    場所:本郷青色申告会館
    収載書誌:未発表


【A084】アジア的と西欧的

 



【A124】言葉以前のことー内的コミュニケーションをめぐって

受胎して36日前後には、魚類から両生類へ。

この時から「悪阻(つわり)」や感情の激変などが・・。

エラ呼吸から肺呼吸に変わる人類の歴史を辿る。

3か月位から胎児は夢をみる・・。

6か月位で耳が聞こえ、母親の声や近しい人の声が判別・・・

続きは本編でお聞き下さい。


 【A115】異常の分散ー母の物語

 何が重要かというと、まず母親の物語というのが重要です。
母親の物語とは何かというと、子どもとのあいだの物語です。それは、簡単な要素からできあがっています。
イメージを考えますと、抱く、授乳する、オッパイをやるということ、それからとにかく眠らせるということです。
  睡眠のはっきりしたパターンをちゃんとつくりあげることです。それから排泄の世話をする。後始末をするということです。
これは動物だったら、母親はお尻をなめてやったりしますけど、同じことです。これが母親の物語を構成する基本的な要素です。
つまり、母親と子どもの物語の構成要素というのは、抱くとか授乳とか眠らせるとか排泄の世話をするという、これだけの要素からできあがっています。この要素が、どうして物語になるのでしょうか。

  • 講演日時:1988年11月12日
    主催:宮崎一ツ瀬病精神医療を考える会
    場所:宮崎市中央公民館
    収載書誌:弓立心とは何か(2001