≪日本山妙法寺「命の行進」にかける思い≫

           ー工藤百合子ー

  

私は真ん中で旗を持っています。お上人はニューヨーク道場も掛け持つ石橋上人)

 

 1977年だったと思いますが、東京広島を3ヶ月かけて歩く国民平和行進に初めて参加しました。きっかけといえば、”ホピの予言”という映画を作られた故・宮田雪(きよし)さんが行進に参加するということでジョイントしました。

 

宮田氏はインドで日本山妙法寺山主の藤井日達上人と出会い、心酔していましたので、無信仰の私には興味がありました。当時私は、宗教とは胡散臭いものと思っていましたので何故そんなものにという思いがありました。

 

 宮田氏は、行進の前はTVの脚本家で、松田優作主演の”探偵物語”や”ルパン三世”などの脚本を手がけておられました。しかし、その生活を捨て日本山奥多摩仏舎利塔の工事などに携わられながら日本山の生き方に寄り添っておられました。 

 

東京広島平和行進では、藤井上人は、たった10万円をご出家に渡されて、これで広島まで行きなさいとおしゃいました。

なにしろ日本一の貧乏寺です・・・・ 熱海の日本山のお寺には、「貧乏神」という書が掛かっているくらいですから・・(^^♪) 

 

さあ、それからは大変。私とある庵主さんが食事係になりましたが、行く先々でまず、青物市場や、パンの工場等を訪ね、廃棄するものをいただいて毎日ご飯を作りました。アメリカ人も沢山参加した年で、関西を過ぎたころから総勢(日本山関係だけで)数十人となり、今から思うとどうやってやりくりしたのかも定かではありません。 

今から考えれば、したくてもできない経験だったと思います。 

 

一方、夫と宮田さんは、宿泊所探しのコンビとなり、先々で泊めてくれるお寺や教会を見つけてくるのです。 

教会はほとんど親切に受け入れてくださいました。天理教、おおやまと教?もとても良くしてくださいました。 

しか~し、三井寺などの有名なお寺ほど剣もほろろの扱いで、やはり日本の仏教寺院のダメさ加減を垣間見たものです。 

 

宿泊所がゲットできない日もあって、姫路では、数十人が姫路城脇で野宿しました。 

そんなこんなで、その続きではありませんが、スリランカの日本山妙法寺のピースパゴダを訪れ、またその続きでインドに足を踏み入れ、2ヶ月ほどほとんど日本山のご縁で動き回っていました。 

 

そこで、お坊さん(坊主フレンドとも・・)から、「次はアメリカでネイティブアメリカンのウォークがあるからいっしょに歩きましょう」と言われ、グレートスピリットに導かれるようにアメリカ大陸の土を踏んだのです。 

藤井上人は、インディアンの人々が、あまりにも過酷な歴史を生きてきたのにも関わらず、今もグレートスピリットの教えに従って生き抜いているのを知り、アメリカを変えていくのはインディアンの人々です、と言われました。 

 

この行進は、第一回のロンゲスト・ウォークと言います。 

 

私は、宮田氏が映画を撮るためのスタッフの一人でもありました。とはいえ、たかだかスチール写真担当でしたが・・ 

この時の宮田氏が撮っていた場面は”ホピの予言”で使われており、恥ずかしながら、映画の最後のスタッフにはなんと私の名前まで入れられています。

 

そののち1986年くらいには、縁ができたインディアンたちが来日して、日本の原発を回るランニング[sacred run]を行いました。 

このきっかけになったのは、広島に落とされた原爆に使用されたウラニウムがナヴァホやホピの土地から掘り出されたものだと彼らが知り、日本で[sacred run]をしようということで、日本中の原発を祈りながら走ってくれました。(ここでも、メディアは知らん顔・・) 

あ~、忘れてましたけど、デニスバンクスもロンゲスト・ウォークのご縁で、彼はその後何度も日本で会っています。 

 

宮田氏はその後、次作を目指してアメリカに滞在していましたが、病に倒れ奥様の辰巳玲子さんが、16年看病されて一昨年亡くなられました。今年の命の行進アメリカ編には彼女も参加されています。 

彼女は、亡き夫の遺志を継いでランドライフで頑張っておられます。最近、テツカ・イカチ(大地と生命)という本を発刊されました。

 

日本山妙法寺は来るものは拒まず、去るものは追わずで、いっしょに活動しやすいのです。 

日本山妙法寺のご出家は、妻帯せず、葬儀、戒名、法事などのお金儲け?は、全くと言っていいほどしません。ただし、縁ある方には簡素ながらお経を上げてくださいます。我が家もそうしました。 

 

ボーズフレンド達は、ただただ、身一つで、命も顧みず、平和の成就のみを祈念して世界中どこへでも行かれます。 

たまにはその国の政府から疎まれ、国外退去になる鴨下上人のような方も。 

 

国内では、かつての砂川闘争や成田闘争も住民とともに闘い続けました。 

スリランカでは、内乱当時にご出家一人が亡くなっています。 

また、法華宗とは言え、他の宗教や人種、思想を超えて活動する姿勢はまさにブッダを見るようです。

 

食事がなければ断食すれば良い、寝る場所が見つからなければ野宿しなさい・・出家が渡世をしてはいけない・・・藤井上人はお弟子様方にいつもこう仰しゃっておられました。 

 

金糸銀糸のおけさを身に付け、檀家さんからのお布施で贅沢な暮らしを恥ともしない昨今の仏教僧の多い中、この末法の世に、わずかに残る仏法の灯火のように感じます。 

今日の最後に藤井上人の言葉を書きます。これが日本山妙法寺の祈りそのものだと思っています。

 

        *文明とは

 

          電燈のつくことでもない

 

          飛行機のあることでもない

 

          原子爆弾を製造することでもない

 

       *文明とは

 

          人を殺さぬことであり

 

          物を壊さぬことであり

 

          戦争をしないことであり

 

          相互に親しむことであり

 

          相互に敬うことである

 

                藤井日達上人の平和国家建設の方針より。(昭和25年10月)